hamさんのひとり言。

昔の話、今の話、自由に綴る波乱万丈の我が人生。

2022年06月

01CLP116936月も今日で終わり1年の半分が終ってしまった。前半の3月までは順調に過ごしてきた。山行きも尺間山、鎮南山、本宮山、霊山、鍋山、七ツ石山、板川山、古城山、小鹿山、由布岳西峰、4月に入り阿蘇の根子岳5月3日のくじゅうの白口岳で山は終わった。梅雨もあっという間に空けて、今度は連日の猛暑で外に出る気がしない。サンデー毎日で時間はたっぷりとある、押入れを整理して断捨離だ、必要のなくなった売れそうなものはオークションに出品している、値段は足さえ出なければいくらでもいい。引き出しに昔の容量の少ない16Mb,64MbくらいのSDカードが何枚もある、Flashメモリーも何枚か、、何を保存したのか覚えていない、中身をチェックすると孫たちの写真や昔の懐かしい写真がどっさりと入っていた、容量の大きいUSBメモリーに整理してコピーしたり結構と忙しい毎日を送っている。しかーしだ!俺には適度な緊張と適度な疲労感がある仕事があっているようだね、、来週の外来での治療の結果を見て、また仕事に復帰したいと思う。
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朝倉文雄記念館
「朝倉文夫」恥ずかしながらご当地に来るまでは知らなかった、ご当地に来てからはよく目にしたり耳にしたりする、大分県の偉人ではあるんだろうが、文学者か?芸術家か?政治家か?山登りの行き帰りに豊後大野市の朝地町あたりで「朝倉文夫記念館」の案内板をよく目にした、そのうちに行って見よう、、現豊後大野市朝地町出身の著名な彫刻家だ。
緑豊かな自然の中にひっそりとたたずむ、やすらぎと芸術の里「朝倉文夫記念公園」、美しい自然の中に芸術の理想郷を作りたいと言う朝倉文夫の夢が1991年に現実のものになりました。広大な敷地内には朝倉文夫記念館の他、朝倉文夫記念文化ホール、陶芸小屋、やすらぎ茶屋、また沢山の豊後梅なども植えられ見事だ。「朝倉文夫記念館」(写真)は学生時代から晩年までの文夫の彫刻作品の鑑賞を主体として、ゆかりの品々の展示やビデオ上映を通じ文夫の芸術を総合的に理解できるように構成されている。
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作品を眺めていると、素人で芸術的センスが全くないhamさんでも、ウーン (゜.゜) 、じつに細かい細部まで作品名との繋がりを表現されている。写真下は有名な滝廉太郎だ、、
朝倉文雄記念館














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野外の展示場にもたくさんの作品が展示されている、写真下の招き猫は大分市民では馴染みの作品だ、2019年秋のラグビーワールドカップが大分でも開催され随分と盛り上がったが開催時に市内中心部の交差点の北東側の広場に展示されていた。

朝倉文夫の略歴
明治19年(1883)3月1日 現大分県豊後大野市朝地町に生まれる
明治40年(1907)東京美術学校(現東京芸術大学)彫刻選科卒業、卒業制作「進化」
明治42年(1909)東京美術学校研究科修了
          
            沢山の作品を制作、賞を受賞

昭和23年(1948)第六回文化勲章受章(大分県第1号)
昭和39年(1964)4月、急性骨髄性白血病にて死去

朝倉文夫記念館
大分県豊後大野市朝地町池田1587-11
📞 0974-72-1300
開館時間:09:00~16:30
休館日 :月曜日 (月曜日が祝祭日または振替休日の場合は翌火曜日)
入館料 :一般 500円 小中高生 200円  
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選挙第26回参議院議員選挙が22日に公示され7月10日投開票に向けてスタートした。参議院は衆議院のように解散による総選挙が無いため常に任期満了の6年だが3年ごとに半数を改選する。近年は国会議員による金銭的な不正、スキャンダルが後を絶たない、、そのたびにろくな説明もせずに、ノラリクラリと訳の分からない言い訳をしたり腹が立つことが多い、、😒
興味も薄れてくるんだが国民の義務だ、10日の投票日の前に抗がん剤治療があるんだが体調などに不安があるので、今回は初めてだが期日前投票に行く事にした。今日は体調も良いし運動を兼ねて会場の市役所まで歩いていくかなー、1時間半もあれば楽に行くだろう?とも思ったが、 しかーしだ! 今日も気温が32度くらいの予報だし朝から蒸し暑い、途中で体調が悪くなっても大変だ、バスはご当地では年寄りは市内どこまで乗っても150円だ、久し振りにバスで行ってきた。会場に着くと次から次へと入ってくる、結構と期日前投票の人が多いねー、、折角出て来たのでそのまま帰るのも勿体ない、運動を兼ねてぶらぶらと駅前まで行き、そこから途中のバス停まで歩き戻って来た。
お陰で睡眠も3~4日前よりよーやく以前のような睡眠がとれるようになった。しかし来週にまた3日間外来での治療があるがその後が心配だ、、、
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霞峰丸(小)バリンタン海峡を通過して2日目、本船は最近、ベトナム、中国で領有権問題が話題になる南沙諸島の遥か沖をシンガポール向け航行中だ。朝9時半過ぎに目が覚めた、三島型の本船、船首の居住区にいると乗船中である事を忘れる、それ程静かで快適だ、ベッドに横に成ったまま週刊誌に目を通す、航海中は朝食を食べない事にしている、寝てた方が良いって感じだな。10時やおら起きて部屋で着替えて洗面、、ボートデッキに出ていつも変わらない景色を眺める、海面は太陽の焼けつくような光でギラギラ輝いている、遠くを日本に向かっているのであろう大型のタンカーが見える。ここまではいつも同じパターンだ、、後はブリッジに肩振りに行くか、無線室に行くか、ビデオを見るか、今日はパントリーに行きインスタントコーヒーを入れて部屋で柄にもなく日記を書いた、そして部屋のソファーにひっくり返り読書だ、、

洋食11時半より楽しみな昼食だ、航海中は2等航海士、2等機関士、と一緒だ、ボーイさんが料理を運び給仕をしてくれる、この間に他のボーイさんが部屋掃除、ベッドメークをしてくれる。今日は洋食のフルコースだ、分厚いビーフステーキ、、、至福のひと時、、
船内時間の正午より午後4時まで当直が始まる、そしてちょっと早いが午後の4時半から夕食だ、この時は我がテーブルも2等航海士、3等航海士、2等機関士、3等機関士と5人全員が揃う、今航はそれにアップさんも加わり賑やかだ、食後は8時からのワッチ(当直)まで部屋で本を読むか、ビデオを見るか、たまに下手なマージャンをするか、船のデッキを歩くか、

霞峰丸 001-2船内時間の午後8時~12時まで2回目のワッチだ、1日数回の日本の海岸局との通信もシンガポールまでは容易に出来る、、FAXの受信、500Khzの聴守など等、12時に当直が終わると先ずバスルームで霞峰丸温泉に浸かり一日の疲れを癒す、、通常は海水風呂だがシャワーを浴びて最後の締めは居酒屋”霞峰丸”の開店だ、酒のおともはごく簡単な物、日本で買い入れた缶詰、得意料理の一つ、玉ねぎをスライスして熱湯をかけ、鰹節、マヨネーズをかけたオニオンスライスなど等、先ず缶ビールで一人乾杯、それから好物のニッカG&Gのロックさ、、そして1時半か2時頃居酒屋”霞峰丸”は閉店する。そしてベッドで横に成り本を読んでいるといつの間にか寝てるネ、、、


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アサギマダラ
アサギマダラは秋に日本本土から南西諸島・台湾方面へ渡るのが多く発見され、または少数だが初夏から夏にその逆のコースで北上しているのが発見されている。日本本土の太平洋沿岸の暖地や中四国・九州では幼虫越冬するので、春から初夏に本州で観察される多くは本土で羽化したものと推測される。調査で直線距離で1,500 km以上移動したものなどが観測されている。白いタオルの一方を掴んでグルグル回すとアサギマダラが寄ってくることが知られている、利き手で網を持ち逆の手でタオルを回すと捕獲しやすい。ご当地でも佐賀関の関崎海星館の裏や姫島で時期になると多く見ることが出来る。
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普光寺摩崖仏
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もう2ケ月近く遠出はしていない、退院後も家から病院と健康診断で近くの施設、ウオーキングで近くをうろうろしたていど、体調も良いようだし気分転換を兼ねて豊後大野市朝地町にある高野山真言宗の寺院、筑紫山普光寺へ行ってきた。アジサイ、摩崖仏が有名でアジサイ寺とも呼ばれているがアジサイはピークは過ぎた感があるが未だ立派に咲き誇っている。立派な山門(写真上)と山門の手前に弘法大師の像がある(写真下)
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鎌倉時代に造られたとされる普光寺は普光山筑紫尾寺(ちくしおじ)と呼ばれていました。しかし江戸時代の初期に筑紫尾(ちくしお)が畜生(ちくしょう)に聞こえるので筑紫尾を山号として普光寺と名前が改められました。
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お寺のある所から下方に有名な摩崖仏などが見渡せ、アジサイの中を摩崖仏まで進むことができる。(写真上)、写真下は摩崖仏より寺院を見ています。
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普光寺摩崖仏
摩崖仏の像高は8mとも12mとも言われ全国でも最大級の摩崖仏です。およそ800年前に造られたと言われており中央の巨大な仏様が不動明王でその両脇、向かって右に、こんがら童子、左に制多迦童子(せいたかどうし)です(写真上)。摩崖仏の横に大きな仏がんと呼ばれるところがあり大日如来を祀った祠と懸け造り舞台がある(写真中)
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平和記念公園今日は第二次世界大戦(太平洋戦争)末期の沖縄戦で命を落とした日米双方の約20万人以上を悼む「慰霊の日」である。旧日本軍が組織的戦闘を終えた日とされ今年で77年、そして沖縄が米統治下から日本に復帰して50年の節目も迎えた年である。私は未だ本土復帰前を含め何回か沖縄を訪れているが、時間がある時はレンタカーを借りて数回、沖縄南部の平和祈念公園を訪れた(写真)
摩文仁の丘
近くにある各県の慰霊碑(新潟県)を訪れ、小高い丘の摩文仁の丘(写真右)で海を眺めていると、この辺りは激戦地で沢山の人が犠牲になったんだろうなー、、、不思議と 青い月夜の浜辺にはー、、、「浜千鳥」を口ずさんだ事をついこの間のように思い出し、何故か寂しくなる。
作詞の鹿島鳴秋さんが、幼いお嬢さんを亡くされ、その悲しみを歌った詩だと言われている。

歌手の田端義夫さんはhamさんも幼少期からラジオ、テレビでお馴染みの偉大な歌手だ、ギターを下げて「おーっす!」とステージに現れ、バタヤンの愛称で親しまれた姿は目に耳に焼き付いている。平成25年(2013)4月25日、肺炎のため都内の病院で94歳の生涯を閉じられた。(合掌) 

作詞:鹿島鳴秋
作曲:弘田龍太郎
唄 :田端義夫
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霞峰丸 001-2フィリピン東方海上の小さな台風の余波で多少のうねりがあるが、順調な航海を続けている、日本を出て3日目、本船は台湾とフィリピン、ルソン島の間のバリンタン海峡を通過した。午後のワッチ(当直)はアップさん(実習生)が一緒だ、私も丁度10年前乗船実習で○○海運の鉱石運搬船に乗船した事が思い出された、しかし残念だが当時と比べるとアップさんの行動、態度、などどれを見ても時代の流れを感じずにはおれなかった。しかし自分の後輩だ、1航海しっかりと指導をしなければいけない、実家は長崎県の小さな漁師町、父親も漁師をしているとの事、〇〇は卒業後、国家試験をとって船舶通信士として乗船するのかね? はい、出来れば、内心、 できれば? なんとも歯がゆい言葉だ、、嘘でもいいから、何が何でも国家試験に合格して乗船します、と言ってもらいたかったな。毎年2ヶ月の夏休みを利用して卒業後、船舶通信士を希望する学生を海運会社にお願いして乗船実習を行っている、卒業後、無線通信士の国家試験に合格し乗船した後、船舶通信士としての海技免状取得の経歴にも加算される極めて意味のある大事な乗船実習だ、、ちなみに私の同級生で卒業後通信士として乗船したのは私の知る限りでは私を含め四人いたが3人は1~2年で退職している。私の当直中のアップさんの毎日の仕事は空いた時間に無線室の床を時間をかけて綺麗に掃除する、コンソールデスク(通信卓)を綺麗に拭き上げるなど等、あとは通常の当直業務だ、、、


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体重計勤務先で1年に1回(夜勤務の人は2回)検診車がきて健康診断を行っているんだが市役所から無料の健康診断の葉書がきていた。たしか毎年来ていたような気がするんだがね、、時間はたっぷりあるし、近くにある健診センターに申し込み相方と一緒に行ってきた。折角の機会なので最近は検査をしていないオプションの検査も申し込み受けてきた。眼圧検査、眼底検査は久し振りだ、ついでに血管の詰まり、血管年齢の検査も、、血管の詰まり(ABI)は正常範囲でOK, しかーしだ! 推定血管年齢は80歳と出た、内心ショック、俺はまだ80歳になっていないがね?。最後の先生の問診で、体重は今の体重が続いているんですか?との事、先月の入院で体重が減り、そのまま今の数字が続いていますそれじゃしっかり食べて適度に運動をしてこれ以上増えないようにしてください、でももう2~3キロ少なくても良いんですがね!との事だが、帰り道にドラッグストアーに寄り久し振りにアイスクリームと井村屋のアズキバーを買った、これじゃ痩せないね、😜
2週間もすれば今日の検査の詳しい結果が郵送されてくるが、近年は不安のほうが多いね。
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ウオーキング今のところほとんど毎日、食べて寝るだけの極めて不健康な生活が続いている。それでは太るだろうと心配もしたが入院で4キロほど痩せたが退院後も同じ体重を維持している。できれば後3~4キロほど体重が落ちれば若い頃の体重になるんだが、そこまで痩せると見苦しい顔、身体が更に見苦しくなるだろうから、こんなところで良いだろうと自分で納得している。しかーしだ! 入院による足腰の弱りは何とかしなければいけない。ここのところ天候不順でなかなか思うようにウオーキングに出れない、雨が上がったのでウオーキングに行きたい時は今度は体調がイマイチでなかなか思うようにいかない。今日は曇り空で少し蒸し暑い感じだが雨が降ることは無いだろう。

乙津川
ウオーキングのコースはなるべく歩道のある道路、歩道のない道路はなるべく車の通りの少ない道路を選ぶようにしている。中でもお気に入りのコースは近くの堤防を歩くコースだ(写真)、両岸の堤防は舗装されていて車は通らない、平日の午後は同年配くらいのウオーキングの人によく合うが流石に日曜日は人に会わなかったなー、、時々川面を渡ってくる風に涼しさを感じる。少し遠回りをして帰ると今日は久し振りに1万歩も歩いた、明日は少し筋肉痛になるだろう、平地を1万歩くらい歩いて筋肉痛になるようでは山登りはとても未だ無理だ。入院前にくじゅうの山に最後の山登りに行った時は3万歩だがこちらは平地ではなく登り下りだ、、10月にならないと治療の結果は解らないが寛解することを信じて少しづつ体力作りにも頑張らなくっちゃね、、、

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