新潟にいた時に仕事(タクシードライバー)でお客様を観光地に案内し「郷土には多くの有名な史跡があるなー」と気づき一冊の本に纏めたが、その中の一部をご紹介したいと思います。

上越市頚城区にある雁金城とともに春日山城の支城の一つの茶臼山城跡に行って来た。県道、新井、柿崎線の頚城区上増田の信号を吉川町方面に暫く進むと案内板がある。矢住地内に入ると左側に小さな案内板(気が付きにくい)が有るが、その先を右に曲がると茶臼山がある。付近一帯は茶臼山城跡公園として整備されている。
茶臼山城跡3
茶臼山城は標高43メーターの円錐状の砦であり、戦国時代の典型的な山城である。山頂に本丸があり、虎口(こぐち、入口のこと)や土塁がある事から、そこに木柵をめぐらし、中央に櫓を築いていたと考えられる。本丸のすぐ下には井戸、空堀、腰郭、又3か所に削平地、などがある。
茶臼山城については史料がなく伝承によると手島清蔵源景行が城主であったが、「御館の乱」で敗れた上杉三郎景虎に仕えていた城主の手島氏は景勝方の敵軍に包囲され大潟湿地から柿崎浜へ逃れ、船で阿賀北の「島見浜」に逃れた。写真)は頂上、本丸跡に建つ展望台、当時が偲ばれる形をしている。
茶臼山城跡
上陸した手島清蔵源景行はその後、武士より出家し栄玄と称し、そこに堂宇を建立した。西厳寺(現、新潟市島見町)は浄土真宗の寺院で約400年の歴史を持ち、住職と御門徒は往古を偲び本丸跡に記念碑を建立した(写真)
茶臼山城跡2
古井戸と琴姫物語
この古井戸は本丸の下、二の郭の東端に有り、直径2,7m、深さ3mの竪井戸である。「御館の乱」で敗れた景虎に仕えていた茶臼山城主は城を棄てて逃れる決意を固めた。城主には大変美しい一人の娘がおり、琴の名手であった。城主は落城の際、この姫を伴って落ち延びる事は不可能だと知り、姫を残す決意を固めた。まさか敵とて姫の命を奪う事はないと思ったからである。しかし姫は景虎公を恋い慕うあまり、古井戸(写真)に身を投じて死んでしまった。井戸に石を投じると、姫の奏でる悲しい琴の音が今でも響いてくるようである。真夏でも井戸の水は涸れる事がなく、不思議な井戸であり、琴姫の悲しみの涙だとも言い伝えられている。
試しにこっそりと石を投じてみたが、、 んー、どうだろう!